月と春

やさしい月明かりがさし込む頃に。

夜に浮かぶクジラ

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わたしは、雪というものがちょっぴり苦手。

どんよりと重い灰色がかった空から止めどなくしんしんと、ただ静かに降る雪を見ると、息がひゅっと短くなるよう。その空を見上げると 降ってくる雪とともにわたしまで埋もれちゃって、そのまま誰もわたしの存在に気づいてくれないんじゃないか、とさえ思う。ひとりぼっちじゃないのに、そう思わせるのは雪のせい?それとも、きみ達に会えない恋しさのせいかしら…?あぁ、、きみ達に会いたい。


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今年 誰もが予想してなかったまさかの事態が起こって、何もかもが変わってしまった。否、変えられてしまった。わたし達を嘲笑うかのごときあの、ちいさな厄災、悪魔、世界イチの嫌われ者によって…(もしアイツを可視化できたのなら、中指立ててバチボコにこらしめてやりたいものです。)

本当は限界オタク街道を闊歩しながら、若さという時間を存分に使って彼らに会うはずだったのに、、彼らに会えない、彼らの住む国にさえ行けない……その事実が容赦なくこころを割いてくるものだから、目の前が真っ暗になって、夜にぽつり、と残されたようなキブンになって、寂しくて寂しくて堪らなかった。わたし、きみ達がいないときっと息もできない。繋がりのないところでは声すら届けられない。わたしは真夜中にぽっかりと浮かぶ、52ヘルツの、、あのクジラに似ている。


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彼らも例のアイツのせいで、わたしみたいにぽっかり穴が開いていたかもしれない。でも、彼らが前へと進むまでの時間はとても早かった。


8月21日、残暑照りつく小麦色の夏の日。
あの日からわたしの日々は、世界は、
Dynamiteを知った日と知らなかった日に分かれてしまったように感じる。それ程までに Dynamiteという曲の、あの火花の、鮮やかさと煌めきは目に焼き付いて こころから離れなかった。世界が止まっていた夜に ド派手に色鮮やかな花火を打ち上げてみせては、真夜中に浮かぶわたしを強引に引っ張り、そんなくよくよせずに!人生ダイナマイト!!なんて。わたしはそんな彼らの強引さと底抜けの明るさに、大抵のことはへっちゃらになる。それに人生、不思議とそういうものだったりする。

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でも、やはり限界オタクはセンシティブなハートの持ち主のため、寂しさは拭えません。(結局) 一生彼らに縋り続ける所存なので。逆にこの寂しさを拭えている人などいるのでしょうか、?むしろ、彼らに会うまで絶対に倒れてられないっ!!!という根性で生きてるようなもの。でも今はそうやって人生を続けていかなくちゃいけないし、必然的にそうやって人生は続いていくもので。だとしてもわたしは、人生の進め方を例のアイツによって強いられている、というのが何とも気に食わない。そしてこの生活に慣れてきている自分も気に食わない。彼らを画面越しにしか見れない、会えないのが普通になってきているのがとても、、怖い。

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多分こういった違和感とか、怖さとか、苛立ちとか、それすら薄れてしまったらもう、、昔のようには戻れない気がする。世界がどれだけ順応して進歩していったとしても、彼らの魂がほとばしるあの煌めき、クロノスタシス…時計の針が止まって見えるあの刹那、すべてがスローモーションのように。すべてが満たされる瞬間、お互いの心臓が呼応するあのしあわせには、、何にも敵わない。

だからこそきみ達はとくべつな。



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わたしの生きる理由。
薄氷のような夜を溶かして夜明けを呼ぼう。夜明けの光がたっぷりと満たす朝、久しぶりだねって笑い合おう。夜に浮かぶクジラはやっと息ができる。それまでわたしはきみ達にとっての雪の日の傘に、かじかんだ手をあたためる暖炉の灯火に、時にははちみつがとろける温かいミルクのあまさであろう。


今年があと少しで終わる。来年、52ヘルツのクジラは声を届けられるかな。きみ達とならこの先を信じられる。人生は続く、逃げよう一緒に。未来へ。